ヒステリーってギリシャ語が語源なんだって

 

 こんにちは。

 

 昨日バイトから帰ってもう少しまとめようと思っていましたが、そんな気力もなく布団に身を投じて丸まったまま朝になってましたね。

 

 さっそく本題へ。

 

 

 

 もうご存知だと思いますが、母親との関係がこじれて、ねじれて、もうもつれまくってるんですよね。私もなんでこんな風になっちゃったのか分かりません。

 

 

 

 時系列にそって説明しなきゃ伝わりにくいので、それを今から書きます。

 

 

 

 私はひとりっ子として生まれました。初めての子、初めての孫、それも初の女の子!ということで、大層いろんな人に可愛がられました。もうほんとバカみたいに可愛がられました。まるでお姫様みたいな扱いだったと後から聞かされました。(私は何一つ覚えません)

 

 

 それが6年後には崩壊しました。

 

 親が離婚したんですねー。このことに関しては2人の決断なので、互いにとってベストな行動を取ったんだなとだけ思ってます。恨みも何もありません。

 

 そして私は母に引き取られる形で、いま住んでいる地域に引っ越してきました。こうして、母と2人の生活がスタートしました。母は慣れない土地で一から仕事見つけて、必死で働いていました。頑張る姿をいちばん近くで見てた私は、こどもながら、心配かけないようにしようと思っていました。

 

 この頃からもう始まってましたね。母親のヒステリーが。ヒステリーってギリシャ語由来で子宮って意味らしいですねー。女は子宮に左右される〜とかいうけど、なんとなく分かる。

 

 怒鳴るのに加えて、全てを否定する言葉、たまに暴力もありました。ひどい時は飛ばされた勢いで家具に頭が当たって、鼓膜が破れたかと思ったことも。(破れてなかったし、ただの打撲みたいなので済みました&その後、殴ったことに関してだけは謝罪がありました)

 

 私の言い方が、態度が気に食わないと全ての感情に任せて叫ぶように、泣きわめくように、ものすごい大声で怒鳴りつける。けど本人は、自分は悪くないと思い込んでいる。ヒスじゃなく、私とケンカしていると思っているんですねー。困りましたね。ろくに話し合いもできないなんて。もう参っています。

 

 暴力は10歳くらいまで続いたのかな。ほんとたまにだけどね。ただ、尋常じゃない様子で怒鳴りつけるのは今でも続いているんです。これに15年耐えてきました。今も耐えています。

 

 とにかくずっと、私は母を怒らせないようにじぶんの気持ちを抑制して、常に緊張して怯えながら暮らしてきました。本当の気持ちが言えないし、まともに会話ができません。母が怖いから。だから、私は、じぶんの心がわかりません。私は何を考えてるのか、何がしたいのか。とにかく自分で考えることを放棄していたので、じぶんの意見があるようで、ない。ほんとに、ない。

 

 

 もうほんとに、めちゃくちゃ辛いです。怖いし、ヒス起こされたら息が苦しくなって心臓がドキドキして、脚がすくみます。21歳になった今でも。

 

 それに、私は私自身、ずっとヒステリーに耐えてきたってことを、気づいていませんでした。当たり前だと思っていました。私がダメだから、母が怒るんだと本気で思ってました。知人にあなた達の関係はおかしいと言われた16歳の時まで。

 

 気づくの遅すぎでしょ…

 

 そこでハッとしたのはすごく覚えてるし、その知人には目を覚まさせてもらった意味で感謝しています。

 

 そしてこの時にもう一つ転機が。10年離れていた父に再会しました。10年ぶりに会って、戸惑うことの方が多かったけど、初めて親の愛を感じました。進学の際にはほんとに助けてくれたし、恩しかない。

 

 それに、母と2人暮らしで息がつまりそうになってたところに、父という存在ができて、心が楽になりました。父は口数が少なく物知りで、とても優しい人なので、相談は父によくしていました。

 

 

 でもこの2年後に、父は事故にあいました。その影響で(お金に関することなので詳細は割愛します)母の働く時間がグッと増えました。

 

 これでどうなったかはだいたい察しがつくと思います。

 

あーっとバイトの時間だ。続きはまた今度書きます。駄文失礼しました。

 

 

いらっしゃいませ〜って、販売員特有のあの不思議な声の出し方、普通に身についてる。